帰蝶(濃姫)はどんな人物だった?
【1】帰蝶は斎藤道三の娘
【2】帰蝶と明智光秀とは従妹関係
【3】帰蝶は織田信長の正室
帰蝶(濃姫)は美濃国の大名の斎藤道三の娘です。
斎藤道三は、大きな野望の持ち、一介の油売りから国主にまで成り上がりました。
「いかなる手段を使っても望んだものを手に入れる」という下剋上の生き様から「美濃のマムシ」と恐れられていました。
帰蝶は美濃のマムシを父に持つことからか、気性の荒い女性と伝えられています。
実際にもそうだったかもしれません…?
気性の荒さを感じさせるエピソードが幾つか伝えられています。
帰蝶の母は小見の方です。
明智光綱(光秀の父)と小見の方(おみのかた)は兄妹です。
ということは、
明智光秀と帰蝶とは従兄妹(いとこ)ということになります。
確実な証拠はないようですが、その可能性が高そうです。
少なくとも明智光秀と帰蝶は、幼年期よりお互いの存在を知る関係だったと考えられます。
同じ年頃がゆえに一緒に遊んでいたのでしょう。
「大人になったら結婚しよう」なんて会話もあったかもしれません。
帰蝶と明智光秀の関係を霊視してみました。
帰蝶と明智光秀の関係を霊視してみました。
歴史上のデータと交えてお伝えします。
(ここからは個人的な見解を含みます。)
帰蝶の若き頃は?
帰蝶の若き頃の姿が脳裏に映ります。
帰蝶は10代前半ですかね?
帰蝶は明智光秀に恋心を抱いています。
明智光秀も帰蝶が気になる様子です。
二人は深い縁で結ばれています。同じ運命を生き、お互いに強く惹かれる何かを感じています。
しかし、お家事情で結婚へは向かいません。
帰蝶の父斎藤道三は、大きな国の主になるという野望を果たすために、帰蝶を政略結婚させることを考えていたからです。
そして、その思惑通りに、帰蝶は二度も政略結婚させられます。
帰蝶の政略結婚について
帰蝶は父斎藤道三の意向で政略結婚をさせられます。
少なくとも2度、政略結婚させらています。そこに帰蝶の女としての幸せはありませんでした。
帰蝶の結婚相手として、まず、土岐頼純(とき よりずみ)が浮かびます。
道三は美濃国を乗っ取るのですが、その野望を果たすために、帰蝶を土岐頼純に嫁がせます。
道三は帰蝶を嫁がせることで美濃国の支配権を掌握しました。
土岐頼純は戦国時代の大名で美濃国の守護大名です。
頼純との結婚は、帰蝶は右も左も良くわからないという感じです。
父道三の言う通りにしたという思いが見えます。
その後なのですが、
土岐頼純は急死します。
死因は不明です。
斎藤道三が毒殺したともいわれます。
政略結婚で嫁いだ先と言えども、夫が死に、帰蝶は心に大きな傷を負いました。
頼純の死後、帰蝶は斎藤家に戻ります。
そして、再び政略結婚をさせられます。
斎藤道三の野望で、織田家と同盟を結ぶ為です。
お相手は織田信長です。
織田信長の正室となります。
織田信長との結婚では、前回の苦い経験があり、帰蝶はかなり悩んでいました。
しかし、最終的にはお国の為と思い、自らの意思に反して結婚を決意します。
信長と帰蝶の関係は冷え切っていた?
信長と帰蝶の間には子供ができませんでした。
また、お互いに自由奔放な性格です。
相手を受け止めて受け入れるようなことがありません。
考えが一致する場面もあるのですが、石と石がぶつかる感じです。
二人の間には強い信頼関係はありませんでした。
信長は側室をつくります。そして、信長が最も愛したのが側室の生駒吉乃です。
1563年、信長は帰蝶の実家である美濃を攻略するため、小牧城を築城します。
小牧城には側室の生駒吉乃を呼び入れます。
信長と帰蝶の関係が冷え切っていた証ですかね?
3年後、吉乃が病死します。
信長は三日三晩、人目もはばからず泣き続けたそうです。
帰蝶にとり、夫が愛した吉乃の死は都合の良い出来事となります。
しかし、信長と帰蝶の関係は良くなるどころか、さらに冷え切っていくのが見えます。
7年後、信長は美濃の本拠地の稲葉山城を攻め落とします。
信長は稲葉山城を岐阜城と改名し、そこに移り住みました。
この時に出柄をあげたのは、生駒屋敷に出入りしていた秀吉でした。
帰蝶は、吉乃の息がかかった秀吉が実家の稲葉城を攻め落とたことを不愉快に思います。
ここでも憎しみを抱く吉乃の因縁が絡んで来ます。
そして、この時期、信長は野望を持ち、天下統一を目指すのですが、その行動が暴走に変わっていました。
信長は自らを神化し、天皇をも越えるところに自らを置くようになります。
帰蝶は気性は荒いのですが、ピュアな性格の持ち主で、神化して欲望を果たそうとする信長への不信感を強めます。
帰蝶は織田家の重臣となっている明智光秀を呼び寄せます。
光秀も信長の暴走が気になっていました。
「朝廷あっての武家」というのが光秀の考えです。朝廷の上に自らを置こうとする信長を、なんとかせねばと考えていました。
また、比叡山の焼き討ちでは僧侶、女子も容赦なく殺し、一向一揆では農民など数万を惨殺するような行為を許すわけにはいかないとも考えていました。
秀光も帰蝶も「戦のない世の中をつくりたい」という思いが強く、「今こそあの男を止めなければ…」と二人の考えが一致しました。
また、光秀は政略結婚をさせられ、女として不幸な人生を歩む帰蝶を可哀そうに思います。
光秀は妻煕子の病死の後だったので、二人の仲は急速に縮まることとなります。
今でいえば不倫ですかね?
とにかく二人は親密となっていきます。
そんな中、信長は光秀に国替えを命じます。
光秀は丹波、丹後、近江を所有していたが、出雲、石見へ替えるというものです。
光秀は信長の天下取りに同調できない上に、国替えで帰蝶との距離が遠くなるのを避けたく、信長を討つ決心をします。
その他幾つもの要因が重なり信長を討つと決心しましたが、「信長の暴走を止める」「帰蝶との関係を保つこと」の2つが大きな要因だと感じました。
1582年、本能寺の変が起きます。
光秀は京都の本能寺を奇襲し、主君である信長を討ちます。
本能寺の変が起きると、帰蝶は安土城から日野城へ避難します。
その辺りも、帰蝶の知るところであり、さっさと日野城へ移り、新しい人生を始めます。
帰蝶は本能寺の変で亡くなったという説がありますが、最近は帰蝶のお墓が見つかり、江戸時代まで生きたという説が有力となっています。
帰蝶のお墓は京都の総見院にあります。
1621年、織田家の御台(正室という意味)という記載が残っているそうです。
それが正しいのであれば、江戸時代まで生きたということになります。
織田信長、明智光秀、豊臣秀頼などが紛争する戦国時代を生き抜いた女性の人生は、どうだったのでしょうか?
政略結婚をさせられ、辛い思いが多い人生の中で、光秀との時間が唯一、女として幸せを感じた時間だったのかもしれません…。
まとめ
明智光秀と帰蝶は従妹関係、幼年期からお互いに気になる存在で恋心を抱きます。
光秀と帰蝶の恋愛は実りませんでした。
帰蝶は、父斎藤道三の野望で政略結婚させられます。信長の正室になります。
光秀は信長の家人となります。
二人の関係と運命が複雑に絡み合っていくことになります。
信長の側室吉乃の存在があり、帰蝶と信長の関係は冷え切っていきます。
そして、信長は天下取りへ暴走します。
それを止めようとする思いが光秀と帰蝶を一致団結させ、本能寺の変へ向かうことになります…
霊視でそんな感じを受けました。
あくまでも個人の意見です。
以上
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